【古事記】第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)「大日下王を誤殺」

軽太子(かるのひつぎのみこ)が自害し後、弟の穴穂御子(あなほこのみこ)が石上の穴穂の宮(奈良県天理市田町)にて天下を治め、第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)となりました。

天皇は、同母の弟大長谷王(おおはつせのみこ)のために、坂本臣(さかもとのおみ)らの祖であるの根臣(ねのおみ)を、大日下王(おおくさかのみこ)の元へ遣わせて、

「あなたの妹の若日下王(わかくさかのみこ)を、大長谷王子(おおはつせのみこ)と結婚させたいと思う。だから献(たてまつ)るのだ」

と仰せになると、大日下王(おおくさかのみこ)は四度拝み言いました。

「もしそのような御命令もあろうかと思い、妹を外に出さず(結婚させず)におきました。まことに畏れ多いことであります。御命令どおり、奉(たてまつ)りましょう」

しかし大日下王(おおくさかのみこ)は言葉だけで申し上げるのは失礼無礼な事であると思い、

直ぐにその妹の礼物(いやじろ:れいもつ( 謝礼として贈呈する金品)として、押木の玉鬘(おしきのたまかづら:木の枝の形をした玉飾りの冠)を根臣(ねのおみ)に持たせて奉りました。

しかし、その根臣(ねのおみ)は、預け渡された礼物の玉鬘を盗み取り、大日下王(おおくさかのみこ)を貶(おと)しめ、天皇に嘘をつき言いました。

「大日下王(おおくさかのみこ)は、勅命(ちょくめい:天皇の命令)を受けず『私の妹は、同族の下敷きになりはしない』といい、その太刀の柄を握り怒っておりました」

このように申し上げたのです。

すると、それを聞き天皇は激怒し、大日下王(おおくさかのみこ)を殺して、その王(みこ:大日下王)の正妻である長田大郎女(ながたのおおいらつめ)を奪い取り、自分の皇后にしました。

 

続きを読む 目弱王(まよわのみこ)「安康天皇(あんこうてんのう)の殺害」

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