【古事記】阿岐豆野(あきずの)「童女の舞」

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が吉野宮(よしのみや:奈良県吉野町にあったとされる宮)におやってきた時、吉野川の岸辺に童女(おとめ)がいました。

その容姿がとても美しかったので、天皇はこの童女と結婚し宮に帰りました。

その後再び吉野にやってきた時、その童女と最初に出会った所に留まり、そこに大御呉床(おおみあぐら:あぐらをかいて座る為の台)を立て、そこに座り琴を弾き、その嬢子(おとめ)に舞をさせました。

するとその嬢子が見事に舞ったので、天皇は歌をお詠みました。

「呉床居(あぐらゐ)の 神の御手(みて)もち 弾く琴に 儛(まい)する女(おみな) 常世にもがも」

訳:

「呉床に座り、神の御手から弾かれる琴に舞い踊る嬢子。永遠であって欲しいことだ」

それから阿岐豆野(あずきの)に来て狩をした時、天皇は御呉床に座っていたところ、虻(あぶ)が天皇の腕を刺し、蜻蛉(あきず:トンボ)が来てその虻を喰らい飛び去っっていきました。

そこで、歌を詠みました。

「み吉野(えしの)の 小室が岳に 猪鹿(しし)伏すと 誰(たれ)そ 大前に奏(まを)す やすみしし 我が大君の 猪鹿待つと 

呉床(あぐら)に坐(いま)し 白栲(しろたへ)の 袖着(そでき)そなふ 手腓(たこむら)に 阿牟(あむ)かきつき その阿牟を 

蜻蛉早咋(はきづはやぐ)ひ かくの如(ごと) 名に負(お)はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島(あきずしま)とふ」

訳:

「『吉野の小室が岳に猪が潜んでいる』と、誰が天皇に申し上げたのか。我が大君が猪を待ち呉床に座っていると、

袖まで着ている腕の内側のふくらみに、虻が喰いつき、その虻をトンボが素早く喰らいついた。このこと(このトンボ)にちなんで名を負わせ、

大和国を蜻蛉島(あきづしま)と言うのだ」

それで、その時よりその野を「阿岐豆野(あきずの)」というのです。

 

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