【古事記】第十九代、允恭天皇(いんぎょうてんのう)「后妃と御子」

水歯別命(みづはわけのきみ:反正天皇(はんぜいてんのう))の弟の男浅津間若子宿禰命(おあさつまわくごのぬくねのみこと)は、

遠飛鳥宮(つうつあすかのみや:奈良県明日香村飛鳥)で天下を治め、第十九代、允恭天皇(いんぎょうてんのう)となりました。

この天皇が、意富本杼王(おおほどのみこ)の妹の忍坂大中津比売命(おしさかのおおなかつひめのみこと)を娶り生んだ御子は、

木梨之軽王(きなしのかるのみこ)、

次に長田大郎女(ながたのおおいらつめ)、

次に境之墨日子王(さかいのくろひこのみこ)、

次に穴穂命(あなほのみこ)、

次に軽大郎女(かるのおおいらつめ)またの名は衣通郎女(そのとおりのいらつめ)で、名に「衣通」とあるのは、その体の光が衣から通り出ていたためです。

次に八瓜之白日子王(やつりのしろひこのみこ)、

次に大長谷命(おおはつせのみこ)、

次に橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)、

次に酒見郎女(さかみのいらつめ)の併せて九柱で、その内皇子が五柱、皇女が四柱になります。

この中の穴穂命(あなほのみこ)は、後に天下をお治め第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)になります。

その次に、大長谷命(おおはつせのみこ)が天下を治め、後の第二十一代、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)となります。

 

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