【古事記】第十代、崇神天皇(すじんてんのう)「后妃(こうひ)と御子(みこ)」

第九代、開花天皇(かいかてんのう)崩御後、皇三皇子の御真木入日子印恵命(みまきいりびこいにえのみこと)が御即位され、第九代、開花天皇(かいかてんのう)となられました。

開花天皇(かいかてんのう)は、師木(しき)の水垣宮(みずがきのみや:奈良県桜井市金屋)で天下を治めました。

そして、三人の后妃を娶り、七の皇子と五の皇女の併せて十二柱の皇子女を儲けました。

異称
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおひひのみこと)
父・母
【父】第九代、開花天皇(かいかてんのう)【母】伊賀迦色許売(いかがしこめのみこと)

兄妹
「第九代、開花天皇(かいかてんのう)」を参照下さい。
皇后(后妃)
・遠津年魚目目微比売(とおつあゆめまぐわしひめ:紀伊国・和歌山県を本拠とする豪族で木国造(きのくにのみやつこ)、荒河刀弁(あらからとべ)の娘)

・意富阿麻比売(おおあまひめ)

・御真津比売命(みまきひめのみこと:第八代、孝元天皇の皇子、大毘古命(おおびこのみこと)の娘)

皇子女
・遠津年魚目目微比売(とおつあゆめまぐわしひめ)との御子【皇子】豊木入日子命(とよきいりびこのみこと)

【皇女】豊鍬入日売命(とよすきいりびめのみこと)

・意富阿麻比売(おおあまひめ))との御子

【皇子】大入杵命(おおいりきのみこと)

【皇子】八坂入日子命(やさかいりびこのみこと)

【皇女】沼名木之入日売命(ぬなきいりびめのみこと)

【皇女】十市之入日売命(とおちのいりびめのみこと)

・御真津比売命(みまきひめのみこと)との御子

【皇子】伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと:後の垂仁天皇(すいにんてんのう)

【皇子】伊邪能真若命(いざのまわかのみこと)

【皇女】国片比売命(くにかたひめのみこと)

【皇女】千千衝和比売命(ちちつくやまとひめのみこと)

【皇女】伊賀比売命(いかひめのみこと)

【皇子】倭日子命(やまとひこのみこと)

皇居(宮の場所)
師木(しき)の水垣宮(みずがきのみや:奈良県桜井市金屋)
御年
百六十八歳
御陵
【古事記】では山辺道勾(まがり)之岡上(奈良県奈良市油阪町)【日本書紀】では山邊道勾岡上陵(山辺道勾岡上陵、やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)

この御子達の中で伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)が次に践祚(せんそ:天皇の位に就くこと)し、後の垂仁天皇(すいにんてんのう)となります。

豊木入日子命(とよきいりびこのみこと)は、上毛野君(かみつけののきみ)、下毛野君(しもつけののきみ)らの祖です。

その妹の豊鍬入日売命(とよすきいりびめのみこと)は、伊勢大神宮(いせのおおかみのみや)を祭りました。

次に、大入杵命(おおいりきのみこと)は、登巨(とのおみ)の祖です。

次に、倭日子命(やまとひこのみこと)は、この時に初めて墓の周りに人垣(ひとがき:陵墓の周りに人を生き埋めにすること)を立てました。

 

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