【古事記】欠史八代「第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)」

【第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)】
綏靖天皇(すいぜいてんのう)崩御後、第一皇子である師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)が御即位され、安寧天皇(あんねいてんのう)となりました。

異称
師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)
父・母
【父】綏靖天皇(すいぜいてんのう:多神沼河耳命)

【母】河俣毘売(かわまたびめ:師木県主(しきのあがたぬし)の祖)

兄妹
兄弟に関する記載は「日本書紀」「古事記」ともにありません。
皇后(后妃)
阿久斗比売(あくとひめ:河俣毘売(かわまたひめ)の兄の師木県主波延(しきのあがたぬしはえ)の娘
皇子女
第一皇子:常根津日子伊呂泥命(とこねつひこいろねのみこと)

第二皇子:大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと:後の第四代、懿徳天王(いとくてんのう))

第三皇子:師木津日子命(しきつひこのみこと)

皇居(宮の場所)
片塩(かたしお)の浮大宮(うきおおみや):所在不明、奈良県高田市片塩町辺りか
崩御
四十九歳
御陵
古事記では畝火山の美富登(うねびやまの、みほと:奈良県橿(かし)原市吉田町)、日本書紀では畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
備考
第三皇子:師木津日子命(しきつひこのみこと)は、二柱の御子(王)を儲け、一人は孫(うまご)いといい、伊賀の須知の稲置(いなき)、那婆理(なばり)の稲置、三野の稲置らの祖です。

もう一人は、和知都美命(わちつみのみこと)と言い、淡道(あわじ)の御井宮(みいのみや)におり、また、和知都美命には二柱の娘がいました。姉の名は、蠅伊呂泥(はえいろね:後、第七代考霊天皇(こうれいてんのう)の妃で、またの名は意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)。

妹の名は蠅伊呂杼(はえいろど)で、同じく後の第七代考霊天皇(こうれいてんのう)の妃。

続きを読む 第四代、懿徳天王(いとくてんのう)

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