垂仁天皇(すいにんてんのう)は、沙本毘売(さほびめ)から託された本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)を甲斐甲斐しく御育てになられました。

ある時は、御子を連れ尾張(愛知県西部)の相津(所在未詳)にある、二股杉(二股に分かれている杉)をくり抜き二股の小船を作り、

それを大和国(奈良県)の市師池(いちしのいけ)や軽池(かるのいけ)まで運び、池に浮かべて一緒に遊ぶなどもされていました。

それから、御子はすくすくと育ちましたが、幾握り(こぶし幾つ)もの長い顎鬚(あごひげ)が、胸元まで垂れ下がる程に成長しても言葉を話すことはありませんでした。

ところがある時、空高く飛んでいく白鳥をの声をお聞きになると、口を動かし何か言葉を話そうとしました。

そこで、天皇は山辺(やまのべ)の大鶙(おおたか)という者を遣わせて、その白鳥を捕まえるように命じました。

大鶙(おおたか)は、その白鳥を追い、木国(きのくに:紀伊国(和歌山県))から針間国(はりまのくに:播磨国(兵庫県)に至るまで追い、

さらに、稲羽国(因幡国(鳥取県西部))を越え、旦波国(たにはのくに:京都、兵庫の一部)に、

さらに、多遅麻国(たじまのくに:但馬国:兵庫県北部)、近淡海国(ちかつおうみのくに:近江国(滋賀県)、

三野国(みののくに:美濃国(岐阜県南部)、尾張国(おわりのくに:愛知県)、科野国(しなののくに:信濃国(長野県)に至るまで追いました。

そして、ついに高志国(こしのくに:越国(北陸)に至り、和那美之水門(わなみのみなと:所在未詳)で、網の罠を張り、ようやくその白鳥を捕まえることが出来、天皇の元へと持ち帰り献上ました。

そこゆえ、その水門を「罠網」にかけ「和那美之水門」というのです。

天皇は、本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)がその白鳥をみて、今度は何かを話すかもしれないとご期待しましたが、その期待通りに御子が話すことはありませんでした。

この事に天皇は、悩み憂いながら寝ていますと、夢の中で次のような神託(かみのお告げ)がありました。

「我が宮を天皇の宮殿のように整えたのならば、御子は必ず話せるようになるであろう」

天皇は、どの神の御心(みこころ:御意志)なのかを太占(ふとまに:鹿の方骨を焼き、ヒビの入り方で占う古代の占い)で占うと、出雲大神の御心であることが分かりました。

そこで早速、本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)を出雲大神の宮に参拝されることにしました。

その際に、誰を一緒に遣わせると良いか占うと、曙立王(あけたつのみこ)が良いと分かったので、天皇は曙立王(あけたつのみこ)に命じて誓約(うけい)をさせました。

*誓約は、あらかじめ決められた通りの結果が出るかどうかで吉凶を判断するもの。

そして、曙立王(あけたつのみこ)は、

「この大神をを拝むことによって、誠に良いことがあるのであれば、この鷺巣池(さぎすのいけ)の樹に住む鷺(さぎ)よ、誓約によって地に落ちよ」

と言うと、その鷺(さぎ)は地に落ちて死にました。また今度は、

「誓約によって生きよ」

と言うと、地に落ちて死んだ鷺(さぎ)は生き返りました。

さらに、甜白檮(あまかし:奈良県明日香村の甘樫丘)の前にある葉の広い大きな樫の木を誓約によって枯らし、また誓約によって茂らせました。

そこで、天皇は曙立王(あけたつのみこ)に倭者師木登美豊朝倉曙立王(やまとのしきとみとよあさくらのあけたつのみこ)と言う名を賜(たま)いました。

 

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