【第四代、懿徳天王(いとくてんのう)】
第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)崩御後、第二皇子である大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)が御即位され、懿徳天王(いとくてんのう)となられました。

異称
大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)
父・母
【父】安寧天皇(あんねいてんのう:師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと))

【母】阿久斗比売(あくとひめ:河俣毘売(かわまたひめ)の兄の師木県主波延(しきのあがたぬしはえ)の娘

兄妹
【兄】常根津日子伊呂泥命(とこねつひこいろねのみこと)

【弟】師木津日子命(しきつひこのみこと)

皇后(后妃)
賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめ、亦名を飯日比売命(いいひひめのみこと:師木県主(しきのあがたぬし)の祖)
皇子女
第一皇子:御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと:後の第五代、考昭天皇(こうしょうてんのう))

第二皇子:多芸志比古命(たぎしひめのみこと)

皇居(宮の場所)
軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや:奈良県橿原市大軽町周辺か)
崩御
四十五歳
御陵
古事記では畝火山(うねびやま)の真名子谷の上(まなごたに:奈良県橿原市西池尻町か)、日本書紀では畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
備考
第二皇子:多芸志比古命(たぎしひめのみこと)は、血沼之別(ちぬのわけ)、多遅麻(たじま)の竹別(たけのわけ)、葦井(あしい)の稲置(いなき)らの祖です。

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