【古事記】欠史八代「第九代、開花天皇(かいかてんのう)」

【第九代、開花天皇(かいかてんのう)】

第八代、孝元天皇(こうげんてんのう)崩御後、若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおひひのみこと)が御即位され、第九代、開花天皇(かいかてんのう)となられました。

異称
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおひひのみこと)
父・母
【父】孝元天皇(こうげんてんのう:大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと))【母】内色許売命(うつしこめのみこと:穂積巨(ほずみおみ)らの祖である内色許男命(うつしこおのみこと)の妹)

兄妹
【同母兄弟】
【長兄】大毘古命(おおひこのみこと)【兄】少名日子建猪心命すくなおこころのみこと)【異母兄弟】
比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)

建波邇夜須毘古命 (たけはにやすひこのみこと)

皇后(后妃)
・竹野比売(たかのひめ:丹波大県主(たにはおおかたぬし)主、由碁理(ゆごり)の娘)・伊賀迦色許売(いかがしこめのみこと:内色許男命の娘で、開花天皇の父、孝元天皇(こうげんてんのう)の皇后(后妃)で、継母)

・意祁都比売命(おけつひめのみこと:丸邇巨(わにのおみ)の祖である日子国意祁都命(ひこくにおけつのみこと)の妹)

・鸇比売 (わしひめ:葛城の垂見宿禰(たるみのすくね)の娘)

皇子女
・竹野比売(たかのひめ)との御子
【第一皇子】比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)
・伊賀迦色許売(いかがしこめのみこと)との御子
【第二皇子】御真木入日子印恵命(みまきいりびこいにえのみこと:後の第十代、崇神天皇(すじんてんのう))
【皇女】御真津比売命 (みまつひめのみこと)
・意祁都比売命(おけつひめのみこと)との御子
【皇三皇子】日子坐王(ひこいますのみこ)
・鸇比売 (わしひめ)との御子
【皇子】建豊波豆羅和気王 (たけとよはづらわけのみこ)
皇居(宮の場所)
春日之伊邪河宮(かすがのいざかわのみや:奈良県奈良市本子守町の率川(いざかわ)神社か
崩御
六十三歳
御陵
【古事記】では伊邪河(いざかわ)の坂の上(奈良県奈良市油阪町)【日本書紀】では春日の率川坂上陵(いざかわのさかのえのみささぎ)

比古由牟須美王(ひこゆむすみのみこ)の子は、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)、次に讃岐垂根王(さぬきたりねのみこ)で、この二柱の王には五柱の娘がおりました。

次に日子坐王(ひこいますのみこ)が山代の荏名津比売(えなつひめ)またの名は苅幡戸弁(かりはたとべ)を娶して生んだ子は、

大俣王(おおまたのみこ)、次に小俣王(おまたのみこ)、次に志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ)の三柱です。

また、春日の建国勝戸売(たけくにかつとめ)の娘、沙本の大闇見戸売(おおくらみとめ)を娶して生んだ子は沙本毘古王(さほびこのみこ)、次に袁耶本王(おざほのみこ)、

次に沙本毘売命(さほびめのみこ)、またの名は佐波遅比売(さはじひめ)で、この沙本毘売命は、伊久米天皇(いくめのすめらみこと:第十一代垂仁天皇)の后となります。次に室毘古王(むろびこのみこ)の併せて四柱です。

また近淡海(ちかつおうみ:滋賀県)の御上(みかみ:野州市三上の三上神社)の祝(はふり:神主)が祭る天之御影神(あめのみかげのかみ)の娘、息長水頼比売(おきながのみずよりひめ)を娶して生んだ子は、

丹波比古多々須美知能宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのみこ)、次に水穂之真若王(みずほのまわかのみこ)、次に神大根王(かむおおねのみこ)またの名は八瓜入日子王(やつめいりびこのみこ)、

次に水穂五百依比売(みずほのいおよりひめ)、次に御井津比売(みついひめ)の併せて五柱です。

また、その母の妹の意祁都比売命(おけつひめのみこと)を娶して生んだ子は山代の大筒木真若王(おおつつきのまわかのみこ)、次に比古意須王(ひこおすのみこ)、次に伊理泥王(いりねのみこ)の併せて三柱です。

日子坐王(ひこいますのみこ)の子は、併せて十一柱の王です(実際記載されているのは十五柱になっています)。

大俣王(おおまたのみこ)の子は曙立王(あけたつのみこ)、次に菟上王(うなかみのみこ)の併せて二柱です。

この曙立王(あけたつのみこ)は、伊勢の品遅部君(ほむじべのきみ)、伊勢の佐那造(さなのみやつこ)の祖です。

菟上王(うなかみのみこ)は、比売陀君(ひめだのきみ)の祖です。

次に小俣君(おまたのみこ)は、当麻勾君(たぎまのまがりのきみ)の祖です。

次に志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ)は、佐々君(ささきのきみ)の祖です。

次に沙本毘古王(さほびこのみこ)は、日下部連(くさかべのむらじ)、甲斐国造(かいのくにのみやつこ)の祖です。

次に袁耶本王(おざほのみこ)は、葛野之別(かずののわけ)、近淡海(ちかつおうみ:滋賀県)の蚊野之別(かののわけ)の祖です。

次に室毘古王(むろびこのきみ)は、若狭(わかさ:福井県)の耳別(みみわけ)の祖です。

その美知能宇志王(みちのうしのみこ)が丹波(たには)の河上(かわかみ)の麻須郎女(ますのいらつめ)を娶して生んだ子は、

比婆須比売命(ひばすひめのみこと)、次に真砥野比売命(まとのひめのみこと)、次に弟比売命(おとひめのみこと)、次に朝廷別王(みかどわけのみこ)の併せて四柱。

この朝廷別王(みかどわけのみこと)は、三川(みかわ)の穂別(ほのわけ)の祖です。

この美知能宇志王(みちのうしのみこ)の弟、水穂真若王(みずほのまわかのみこ)は、近淡海(ちかつおうみ)の安直(やすのあたい)の祖です。

次に神大根王(かむおおねのみこ)は、三野国(みののくに)の本巣国造(もとすのくにのみやつこ)、長幡部連(ながはたべのむらじ)の祖です。

次に山代の大筒木真若王(おおつつきまわかのみこ)が、弟の伊理泥王(いりねのみこ)の娘、丹波(たには)の阿治佐波毘売(あじさはびめ)を娶して生んだ子は迦邇米雷王(かにめいかづちのみこ)です。

この王が丹波の遠津臣(とおつおみ)の娘で名は高材比売(たかきひめ)を娶して生んだ子は息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)です。

この王が葛城(かずらき)の高額比売(たかぬかひめ)を娶して生んだ子は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと:後の仲哀天皇の皇后(神功皇后))、

次に虚空津比売命(そらつひめのみこと)、次に息長日子王(おきながひこのみこ)の併せて三柱です。

息長日子王(おきながひこのみこ)は、吉備(きび)の品遅君(ほむじのきみ)、針間(はりま)の阿宗君(あそのきみ)の祖です。

また息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)が、河俣(かわまた)の稲依毘売(いなよりびめ)を娶して生んだ子は大多牟坂王(おおたむさかのみこ)で、多遅麻国造(たじまのくにのみやつこ)の祖です。

また、建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのみこ)は、道守臣(ちもりのおみ)、忍海部造(おしぬみべのみやつこ)、御名部造(みなべのみやつこ)、

稲羽(いなば)の忍海部(おしぬみべ)、丹波(たには)の竹野別(たけのわけ)、依網(よさみ)の阿毘古(あびこ)らの祖です。

 

続きを読む 第十代、崇神天皇(すじんてんのう)「后妃(こうひ)と御子(みこ)」

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