【古事記】円野比売(まとのひめ)の死

垂仁天皇(すいにんてんのう)は、最初の后の沙本毘売命(さほびめのみこと)の遺言の通り、旦波比古多多須美知宇斯王(たにはのひこたたすみちのしのみこ)の娘たち、

比婆須比売命(ひばすひめのみこと)と弟比売命(おとひめみこと)、そしてその妹の歌凝比売命(うたこりひめのみこと)と円野比売命(まとのひめのみこと)の併せて四柱を妻になさいました。

ところが、天皇は比婆須比売命(ひばすひめのみこと)と弟比売命(おとひめみこと)を二柱をお留めになりましたが、

その妹の歌凝比売命(うたこりひめのみこと)と円野比売命(まとのひめのみこと)の二柱は、容姿が悪く醜かったので、生まれ故郷の親元に送り返してしまいました。

すると円野比売命(まとのひめのみこと)は、そのことを恥じて、

「同じ姉妹の中に、容姿が醜いからといって故郷に送り返されたことが、近所で噂にされたら恥ずかしくてしかたがありません」

と言って、山代国の相楽(さがらか:京都府相楽郡・木津川市辺り)に着いた時、木の枝に首を吊って死のうとしました。

そこで、その地を懸木(さがりき)と言うようになったのです。今は相楽(さがら)と言います。

そして、弟国(おとくに:京都府乙訓郡・長岡京市周辺)に着いた時、ついに深い淵に身を投じて死んでしまいました。

そこで、その地を堕ち国(おちくに)といい、今は弟国(おとくに)というのです。

*また、兄国は京都府西部辺りと言われています。

 

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