【古事記】第十一代、垂仁天皇(すいにんてんのう)「后妃と御子」

伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと:垂仁天皇(すいにんてんのう))は、師木の玉垣宮(たまがきのみや:奈良県桜井市穴師纏向遺跡(まきむくいせき)内)で天下を治めました。

天皇は、二人の皇后と五人の妃を娶り、十三柱の皇子と三柱の皇女を儲けました。

異称
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)
父・母
【父】第十代、崇神天皇(すじんてんのう)

【母】御真津比売命(みまきひめのみこと:第八代、孝元天皇の皇子、大毘古命(おおびこのみこと)の娘)

兄妹
天皇の時代~第十代、崇神天皇(すじんてんのう)「后妃(こうひ)と御子(みこ)」を参照下さい。
皇后(后妃)
・佐波遅比売命(さはじひめのみこと:沙本毘売命(さほびめのみこと)*沙本毘古王(さほびこのみこ)の妹)

・氷羽州比売命(ひばすひめのみこと:比婆須比売命*旦波比古多多須美知宇斯王(たにはのひこたたすみちのしのみこ)の娘)

・沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりびめのみこと*氷羽州比売命の妹)

・阿耶美能伊理毘売命(あざみのいりびめのみこと*沼羽田之入毘売命の妹)

・迦具夜比売命(かぐやひめのみこと*大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこと)の娘)

・刈羽田刀弁(かりはたとべ*山代の大国之淵の娘)

・弟刈羽田刀弁(おとかりはたとべ*山代の大国之淵の娘)

皇子女
・佐波遅比売命(さはじひめのみこと)との御子

【第一皇子】品牟都和気命(ほむつわけのみこと:本牟智和気命)

・氷羽州比売命(ひばすひめのみこと)との御子

【第二皇子】印色入日子命(いにしきいりひこのみこと)

【第三皇子】大帯日子淤斯呂和気命(おおたらしひこのみこと:後の第十二代、景行天皇(けいこうてんのう))

【皇子】大中津日子命(おおなかつひめのみこと)

【皇女】倭比売命(やまとひめのみこと)

【皇子】若木入日子命(わかきにいりひこのみこと)

・沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりびめのみこと)との御子

【皇子】沼帯別命(ぬたらしわけのみこと)

【皇子】伊賀帯日子命(いがたらしひこのみこと)

・阿耶美能伊理毘売命(あざみのいりびめのみこと)との御子

【皇子】伊許婆夜和気命 (いこばやわけのみこと)

【皇女】阿耶美都比売命(あざみつひめのみこと)

・迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)との御子

【皇子】袁那弁王(おざべのみこ)

・刈羽田刀弁(かりはたとべ)との御子

【皇子】落別王(おちわけみこ)

【皇子】五十日帯日子王(いかたらしひこのみこ)

【皇子】伊登志別王(いとしわけのみこ)

・弟刈羽田刀弁(おとかりはたとべ)との御子

【皇子】石衝別王 (いわつくわけのみこと)

【皇女】石衝毘売命(いわつくびめのみこと)またの名は布多遅能伊理毘売命(ふたじのいりびめのみこと)

皇居(宮の場所)
師木の玉垣宮(しきのたまかきのみや:奈良県桜井市穴師周辺)
御年
百五十三歳
御陵
【古事記】では御陵は菅原の御立野(みたちの)の中(奈良県奈良市尼辻西町)【日本書紀】では菅原伏見陵(すがわらのふしみのみささぎ)【古墳名】尼辻宝来山古墳(あまがつじほうらいさん)

この御子達の中で、大帯日子淤斯呂和気命(おおたらしひこのみこと)は天下を治め次の第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)となります。

御身(みみ:身長)は一丈二寸(ひとつえふたき:約190㎝)で、御脛(みすね:すね)の長さは四尺一寸(約74㎝)です。

次に印色入日子命(いにしきいりひこのみこと)は、血沼池(ちぬいけ:大阪府泉佐野市にあった池)を作り、また狭山池(さやまのいけ:大阪狭山市の池)を作り、また日下(くさか)の高津池(たかつのいけ:大阪市日下町にあった池)を作りました。

また鳥取の河上宮(ととりのかわかみのみや:大阪府阪南市にあったとされる宮)で、太刀を千本作らせ、

これを石上神宮(いそのかみのかみのみや:奈良県天理市の石上神宮)に納め奉り、その宮で河上部(かわかみべ:何かの部民(未詳))を定めました。

次に大中津日子命(おおなかつひめのみこと)は山辺之別(やまのへのわけ)、三枝之別(さきさくのわけ)、稲木之別(いなきのわけ)、

阿太之別(あだのわけ)、尾張国の三野別(みののわけ)、吉備の石无別(いわなしのわけ)、許呂母之別(ころものわけ)、高巣鹿之別(たかすかのわけ)、飛鳥君(あすかのきみ)、牟礼之別(むれのわけ)らの祖です。

次に倭比売命(やまとひめのみこと)は、伊勢大神宮(いせのおおかみのみや)を拝き祭りました。

次に伊許婆夜和気王(いこばやわけのみこと)は、沙本(さほ)の穴太部之別(あなほべのわけ)の祖です。

次に阿耶美都比売命(あざみつひめのみこと)は、稲瀬毘古王(いなせびこのみこ)に嫁ぎました。

次に落別王(おちわけのみこ)は、小月之山君(おつきのやまのきみ)、三河之衣君(みかわのころものきみ)の祖です。

次に五十日帯日子王(いかたらしひこのみこ)は、春日山君(かすがのやまのきみ)、高志池君(こしのいけのきみ)、春日部君(かすがべのきみ)の祖です。

次に伊登志和気王(いとしわけのみこ)は、子がいなかったため、子代(こしろ:名を後世に伝えるために置かれた部民)として伊登志部(いとしべ)を定めました。

次に石衝別王(おわつくわけのみこと)は、羽咋君(はくいのきみ)、三尾君(みおのきみ)の祖です。

次に布多遅能伊理毘売命(ふたじのいりびめのみこと:石衝毘売命(いわつくびめのみこと))は、倭建命(やまとたけるのみこと)の后となりました。

 

続きを読む 沙本毘古(さほびこ)と沙本毘売(さほびめ)

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