【古事記】天照大御神と須佐之男命~誓約・後編「須佐之男命の悪態」

このようにして誓約(うけい)が終わると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、

「後に生まれた五柱の男の子は、私の身に着けていた勾玉から成った自分の子です。そして、先に生まれた三柱の女の子はあなたの剣から成った、あなたの子になります」

と仰せになりました。

ここで、その先に誓約により生まれた女神の多紀理毘売命(たきりびめのみこと:またの名は奥津島比売命(おきつしまひめのみこと))は、胸形(むなかた)の奥津宮(おきつみや:福岡県の宗像大社奥津宮)に鎮座しています。

次に、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと:またの名は狭依毘売命(さよりびめのみこと))は胸形(むなかた)の中津宮(福岡県の宗像大社中津宮)に鎮座しています。

次に、田寸津比売命(多岐都比売命(たきつひめのみこと))は胸形(むなかた)の辺津宮(へつみや:福岡県の宗像大社辺津宮)に鎮座しています。

この三柱の女神は、胸形君(むなかたのきみ)らが祭る三前の大神(三社からなる宗像大社)です。

そして、この後の誓約により生まれた五柱の男神の中の天之菩卑能命(あめのほひのみこと:天菩比神(あめのほひのかみ))の子の、建比良鳥命(たけひらとりのみこと)は、

出雲国造(いずもくにのみやつこ)、无耶志国造(むざしのくにのみやつこ)、上菟上国造(かみつうなかみのくにのみやつこ)、下菟上国造(しもつうなかみのくにのみやつこ)、

伊自牟国造(いじむのくにのみやつこ)、津嶋県直(つしまのあがたのあたい)、遠江国造(とおつおうみのくにのみやつこ)らの祖です。

次に天津日子根命(あまつひこねのかみ)は、凡川内国造(おおしこうちのくにのみやつこ)、額田部湯坐連(ぬかたべのゆえのむらじ)、木国造(きのくにのみやつこ)、

倭田中直(やまとのたなかのあたい)、山代国造(やましろのくにのみやつこ)、馬来田国造(うまぐたのくにのみやつこ)、道尻来閇国造(みちのしりのきへのくにのみやつこ)、

周芳国造(すわのくにのみやつこ)、倭淹知造(やまとのあむちのみやつこ)、高市県主(たけちのあがたぬし)、蒲生稲寸(かもうのいなき)、三枝部造(さきくさべのみやつこ)らのそです。

すると、須佐之男命(すさのおのみこと)は勝ち誇ったように、

「私の心が清いからこそ、たおやかな女の子が生まれたのです。だから私の勝ちです」

とおっしゃり、さらにはその勝気な勢いにまかせ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の田の畔(あぜ)を壊し、溝を埋め、

しかも大嘗(おおにえ:新嘗際(にいなめさい:神に新穀を供える神事))を行う神聖な御殿に糞(くそ)をまき散らすなど、高天原で大暴れしたのです。

しかし、そんな須佐之男命(すさのおのみこと)の愚行にもかかわらず、天照大御神(あまてらすおおみかみ)はお咎(とが)めになることはなく、

「糞をまき散らしたのは、きっと酔って吐いてしまったのでしょう。また、田の畔(あぜ)を壊し、溝を埋めたのは、土地が惜しいと思ったからでしょう」

とかばうようにおっしゃいました。しかし、須佐之男命(すさのおのみこと)の悪態は酷くなる一方で止むことはありませんでした。

その後も須佐之男命(すさのおのみこと)の悪態は続き、ある時天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神聖な機織り(はたおり)小屋で神の衣を織らせていると、

須佐之男命(すさのおのみこと)は、尻の方から皮を剥いだ馬の死体を機織り小屋の屋根に穴をあけ落とし入れたのです。

突然落ちてきた馬の死体に機織女(はたおりめ)は梭(ひ:機織り機の横糸を通す道具)で、陰上(ほと:女性器)を突き刺してしまい死んでしまいました。

これには、さすがに天照大御神(あまてらすおおみかみ)も恐ろしくなり、天の岩屋戸(あめのいわやど:高天原にある洞窟の入り口を塞いでいる岩)をお開けになり、洞窟の中に御引き籠りになられてしまいました。

すると、高天原も暗闇に包まれ、葦原の中国(あしはらのなかつくに:高天原と黄泉の国の中間の地上の世界)も、ことごとく暗闇に包まれてしまいま、昼が来ない夜だけの世界になってしまいました。

そのことで、万の神(よろずのかみ:多くの神々達)も騒ぎだし、その声が夏蠅(なつばえ)のように満ちあふれ、万の災い(あらゆる災い)がことごとく起こるようになったのです。

 
天照大御神と須佐之男命~天岩戸「八百万の神の策」へ続く

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