【古事記】第十三代、成務天皇(せいむてんのう)

第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)と八坂之入日売命(やさかのいりびめのみこと)の御子である、若帯日子命(わかたらしひこのみこと)は、

近淡海(ちかつおうみ)の志賀の高穴穂宮(たかあなほのみや:菅県大津市穴太)にて、天下を治め、第十三代、成務天皇(せいむてんのう)になられました。

成務天皇(せいむてんのう)が、穂積臣(ほずみのおみ)らの祖である建忍山垂根(たけおしやまたりね)の娘の弟財郎女(おとたからのいらつめ)を娶り、生んだこの名は和訶奴気王(わかぬけのみこ)の一柱です。

そして、建内宿禰(たけうちのすくね:第八代、孝元天皇の孫)を大臣(おおおみ:宮廷の臣の中で最高位の臣)とし、大小の国々の国造(くにのみやつこ)を定めました。

また、それぞれの国の境界(今で言う県堺)を決め、大小の県(あがた)の県主(あがたぬし)を定めました。

成務天皇(せいむてんのう)の御年は、九十五歳で、乙卯年(きのとのうのとし:西暦三五五年)三月十五日に崩御されました。

御陵は、「古事記」では、沙紀の多他那美(たたなみ:奈良県奈良市北部)、「日本書紀」では狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ:奈良県奈良市山陵町)です。

古墳名は、佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん:前方後円墳、全長218m)です。

*日本書紀では御子の記載がないので、実在がないのか、あるいは生まれて間もなく亡くなってしまったのかは不明。

 

第十四代、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)「后と御子」

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