【古事記】聖帝の世「さまざまな公共工事」

大雀命(おおさざきのみこと:仁徳天皇(にんとくてんのう))の御世(みよ:時代)に、大后(おおきさき:皇后)である石之日売命(いわのひめのみこと)の御名代(みなしろ:朝廷に奉仕することを義務づけられた大王直属の集団)として葛城部を定めました。

また、太子(ひつぎのみこ)の御名代として壬生部(みぶべ:皇子女の養育を担った部)を定め、水歯別命(みずはわけのみこと)を御名代として蝮部(たじひべ)を定め、

大日下王(おおくさかみこ)の御名代として、日下部(くさかべ)を定め、若草下部王(わかくさかべみこ)の御名代として若日下部を定めました。

また、秦人(はたひと;応神天皇の時代に朝鮮より渡来した者達)を使役し、茨田堤(うまらたのついつみ)と茨田三宅(うまらたのみやけ)を作りました。

*茨田は大阪府寝屋川市辺り。

また、丸邇池(わにのいけ)、依網池(よさみのいけ)を作り、難波の堀江(なにわのほりえ:大阪市内に流れる天満川辺り)を堀り海に通し、小椅江(おばしのえ:大阪市天王寺付近の運河)を掘りました。

また、墨江之津(すみのえのつ:住吉区に作られた港)を定めました。

これらのように大規模な治水工事や土木工事を行いました。

ある日、天皇は高い山に登り、四方の国土を見渡し、

「国中に炊煙(炊事の時に立つ煙)が立ち昇っていない。国内は皆貧しいのであろう。今から三年の間、ことごとく人民の課(みつぎ:年貢)と役(労役)を免除することとしよう」

*人民の課(みつぎ)と役:年貢、税の徴収や公共事業などの労働。

といい中断させました。

そのため宮殿は破れ壊れ、ことごとく雨漏りするようにもなってしまいましたが、修繕もすることなく器を使い雨漏りを受け、漏れていない場所に移るなどしました。

*つまり節約です。

時が経ち、やがて天皇が国中を見渡すと、国土には炊煙は満ち人民の生活も豊かになっていきました。

そして、それらを確認しようやく課(みつぎ)と役を再開し始めたのでした。

このようにして、百姓は栄え役使(えきし)は苦しむことも無くなりました。

そのため、その御世を称えて「聖帝の世(ひじりのみかどのよ)」というのです。

 

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