初め、大后の若日下部王(わかくさかべのみこ)が日下(くさか:大阪府日下町辺り)に住んでいた頃、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、大和から日下の直越の道(ただごえのみち)を通って河内にやってきました。

*若日下部王の所へ行くため、近道をしていった。

そして、山の上に登って国内を見渡していると、堅魚木(かつおぎ:千木(ちぎ)、鰹木(かつおぎ))を上げ立派に飾った屋根で作った家がありました。
千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)
*画像:堅魚木(かつおぎ)Wikipediaより

天皇は、その家にを尋ねさせて言いました。

「その堅魚木(かつおぎ)を上げた屋根を作っているのは誰の家だ」

天皇のお伴をしているものが答え、

「これは志機の大県主(大阪の柏原、八尾辺りの豪族)の家です」

と申し上げました。

そこで天皇は、

「奴(やっこ)め、自分の家をまるで天皇の宮殿に似せて造っているではないか!」

と仰せになり、すぐに人を遣わせてその家を焼かせてしまおうとした時、家主の大県主が畏れ入り、頭を下げひれ伏し、

「私は愚かな奴(やっこ)でございます。愚かな奴(やっこ)であるゆえにそのことに気付かず、誤って作ってしまい、畏れ多いことです。お詫びの品物を献上いたします」

と申し上げ、布を白い犬にかけ、鈴をつけ、自分の一族の腰佩(こしはき)と言う名の者に犬の綱を取らせて献上しました。

そこで、天皇はその家に火をつけるのを止めさせました。

それからすぐに若日下部王(わかくさかべのみこ)の所に向かい、志機の大県主から献上されたその犬を若日下部王(わかくさかべのみこ)に贈り入れて、

「この物は、今日、道中で得た珍しい物である。そこでこれを結納の品としよう」

と伝えさせ、その犬を贈りました。

すると若日下部王(わかくさかべのみこ)は天皇に、

「あなた様が、日を背にしてお御出ましになったことは、とても畏れ多いことです。ですので私の方から宮に参上してお仕えいたしましょう」

このように奏上(そうじょう:天皇に申し上げる事)し伝えました。

そこで、天皇は宮に帰り上る時に、その山の坂の上に行き立ち、このように歌を詠みました。

「日下部(くさかべ)の 此方(こち)の山と たたみこも 平群(へぐり)の山の 此方此方(こちごち)の 山の峡(かひ)に 立ち栄ゆる 

葉広熊白檮(はびろくまかし) 本(もと)には いくみ竹生(たけお)ひ 末辺(すゑへ)には たしみ竹生ひ いくみ竹 いくみは寝ず 

たしみ竹 たしには率寝(ゐね)ず 後(のち)もくみ寝む その思ひ妻 あはれ」

訳:

「日下部のこちらの山と、大和の平群(へぐり)の山との、あちこちの山々の間に、立ち栄る葉の広い樫の木よ。樹の根元には竹が塊って生え、先の方には竹が重なり茂って生えている。

その塊って生える竹のようには寝ず、また重なり茂る竹のように寝ず、後から共に寝たいと思う愛しい妻よ。ああ」

そして、天皇はこの歌を使いの者に持たせ、若日下部王(わかくさかべのみこ)の元に返し遣わしました。

 

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