【古事記】袁杼比売との「宇岐歌、志都歌」

また、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)はこの豊楽(とよのあかり:酒宴)の日に、春日の袁杼比売(おどひめ)が、大御酒(おおみけ)を献(たてまつ)った時にも歌を詠みました。

「水濯(みなそそ)く 臣(おみ)の嬢子(おとめ) 秀罇執(ほだり)取らすも 秀罇執取り 堅く取らせ した堅く 彌堅(やかた)く取らせ 秀罇執取らす子」

訳:

「臣の嬢子(おとめ)が秀罇執(ほだり:銚子(ちょうし)、酒器)を持っているが、秀罇執を持つならしっかりと持ちなさい。堅くしっかりと持ちなさい。秀罇執を持つ嬢子(おとめ)よ」

これは宇岐歌(うきうた)です。

*宇岐歌(うきうた)は盞歌(うきうた)とも呼ばれ、酒宴などで御酒をあげる時などに歌われた歌とされます。

すると、袁杼比売(おどひめ)が歌を詠み献(たてまつ)りました。

「やすみしし 我が大君の 朝とには い倚(よ)り立たし 夕(ゆふ)とには い倚(よ)り立たす 脇机(わきづき)が下の 板にもが あせを」

訳:

「我が大君が朝に寄りかかり、夕に寄りかかっておられる、その脇机(わきづき:脇に置く机で袖机(そでづくえ)とも言う、この場合は肘掛の事)の下の板にもなりたいものです。愛しい貴方よ」

これし、志都歌(しずうた:調子を下げ静かに歌う歌)です。

天皇の御年は、百二十四歳。己巳年(つちのとみのとし:西暦四八九年)の八月九日に崩御されました。

御陵は河内の多治比(たじひ)の高鷲(たかわし:大阪府羽曳野市島泉)にあります。

*陵名は丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)、墳名は高鷲丸山古墳です。

 

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