【古事記】第二十二代、清寧天皇(せいねいてんおう)

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の御子の白髪大倭根子(しらかのおおやまとねこのみこと)は、伊波礼(いわれ:奈良県内)の甕栗宮(みかくりのみや:所在未詳)にて、天下をお治め、第二十二代、清寧天皇(せいねいてんおう)となりました。

この天皇(すめらみこと)には皇后がいなく、また御子もなおりませんでした。

そのため、御名代(みなしろ:朝廷に仕える大王直属の部民)に白髪部(しらかべ)を定めました。

ですので、天皇が崩御した後に、天下をお治めるべき王(みこ)がいなかったのです。

そこで、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の後に皇位を受け継ぎ王(もこ)を尋ね、市辺忍歯別王の妹の忍海郎女(いちのへのおしはわけのみこと)、

またの名は飯豊王(いいよどみこ)が、葛城(かずらぎ)の忍海(おしぬみ)の高木角刺宮(たかきのつのさしのみや:所在未詳)にて、皇位を引き継ぐことになりました。

*古事記には清寧天皇(せいねいてんおう)の御陵の記載がありません。現在では陵名が河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ:大阪府羽曳野市西浦)、

古墳名は白髪山古墳(しらがやまこふん:西浦白髪山古墳)として定められています。

 

続きを読む 二皇子の出現「意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)」

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