【古事記】大山守命の死と譲り合い

船に乗り込んだ大山守命(おおやまもりのみこと)は、まさか宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)がその船の楫(かじ:舵)をとっていると思いもせず、

船頭に扮した宇遅能和紀郎子に問いかけました。

「この山に、怒れる大猪(おおいのしし)がいると聞く。私はその猪を討とうと思う。猪は獲れると思うか?」

船頭に扮した宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)は、

「できないでしょう」

と答えると、大山守命(おおやまもりのみこと)は、

「なぜだ?」

とその理由を問うと、船頭は、

「しばしば、あちらこちらで獲ろうとしましたが上手くいきませんでした。ですので、できないと答えたのです」

そして船が、川の中ほどに差し掛かった時、船頭に扮した宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)は、船を傾け、大山守命(おおやまもりのみこと)を水の中に落とし入れました。

大山守命(おおやまもりのみこと)は水面に浮かび出て、そのまま水に流されていきました。そして流されながら歌を詠みました。

「ちはやぶる 宇治(うじ)の渡(わたり)に 棹取(さをと)りに 速(はや)けむ人し わがもこに来む 」

訳:

「宇治川の渡し場の棹を素早く扱うことのできる人よ。私のもとに(助けに)来てくれないか」

その時、川辺に伏せ隠れていた兵士たちが、あちらこちらから一斉に現れ、矢を放ちました。

大山守命(おおやまもりのみこと)は、訶和羅の前(かわらのさき:地名か)まで流された所で沈みました。

鉤(かぎ)を使い沈んだ辺りを探すと、大山守命(おおやまもりのみこと)が服の中に着ていた鎧に引っかかり「カワラ(擬音)」と鳴りました。

そこで、その地を訶和羅の前(かわらのさき)といいます。

大山守命(おおやまもりのみこと)の遺骸を引き上げた時、弟の宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)は歌を詠みました。

「ちはや人 宇治の渡(わたり)に 渡り瀬に 立てる 梓弓檀弓(あずさゆみまゆみ)い伐(き)らむと 心は思(も)へど い取らむと

心は思へど 本方(もとへ)は 君を思ひ出 末方(すゑへ)は 妹を思ひ出 苛(いらな)けく そこに思ひ出 かなしけく ここに思ひ出 い伐らずそ来る 梓弓檀弓(あずさゆみまゆみ)」

訳:

「 宇治川の渡し場の浅瀬の近く立っている梓弓や檀弓の木よ。伐ってやろうと心では思うけれど、取ってやろうと心では思うけれど、

本方(もとかた)を見ると君を思い出し、末方(すえかた)を見ると妹を思い出し、心が痛むほど思い出し、悲しいことも思いだし、だから伐らずに戻ってきた。梓弓や檀弓の木よ。」

*宮廷の御神楽(みかぐら)の時、二組に分かれた歌い手のうち、先に歌いはじめる方が本方(もとかた)と言い神殿に向かって左側に位置し、後に歌いはじめる方が末方(すえかた)といい神殿に向かって右側に位置します。その二本を伐って弓を作ろうとしたが、その左右に並ぶ木を見て思い出したと言う意味か。

その大山守命(おおやまもりのみこと)の亡骸は、那良山(ならやま:大和国と山代国の間の奈良山)に葬られました。

また大山守命(おおやまもりのみこと)は、土形君(ひじかたのきみ)、幣岐君(へきのきみ)、榛原君(はりはらのきみ)らの祖です。

その後、大雀命(おおさざきのみこと)と宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)の二柱は、互いに天下を譲り合いました。

そんな時、海人(あま)が大贄(おおにえ:神や天皇へ献上される産物)を献上しに来ました。すると兄はそれを受け取らず弟に貢(みつ)がせ、弟はそれを受け取らず兄に貢(みつ)がせ、お互いが譲り合っている間に多くの日が経ちました。

このような譲り合いは一度や二度ではありませんでした。

そんな中、海人は何度も行ったり来たりしとうとう疲れ果て泣いてしまいました。

そのことから諺(ことわざ)に「海人なれや、己が物によりて泣く(海人というのは、自分の持つ物のために泣かされる)」と言うのです。

しかし、宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)は、早くにお亡くなりになられたため、大雀命(おおさざきのみこと)が天下を治めになりました。

 

新羅国王の子、天之日矛(あめのひほこ)の渡来

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