【第七代、考霊天皇(こうれいてんのう)】
第六代、考安天皇(こうあんてんのう)崩御後、第二皇子である大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)が御即位され、第七代、考霊天皇(こうれいてんのう)となられました。
- 異称
- 大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)
- 父・母
- 【父】第六代、考安天皇(こうあんてんのう:大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
【母】忍鹿比売命(おしかひめのみこと:天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)の娘。孝安天皇の姪にあたる)
- 兄妹
- 【兄】大吉備諸進命 (おおきびのもろすすみのみこと)
- 皇后(后妃)
- ・細比売命(ほそひめのみこと:十市県主(とおちのあがたぬし)祖の大目(おおめ)の娘)
・春日之千千速真若比売(かすがのちちはややまかひめ)
・意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)
・蠅伊呂杼(はえいろど:意富夜麻登玖邇阿礼比売命の妹)
- 皇子女
- 【細比売命(ほそひめのみこと)との御子】
(皇子)大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと:後の第八代、孝元天皇(こうげんてんのう))
【春日之千千速真若比売(かすがのちちはややまかひめ)との御子】
(皇女)千千速比売命 (ちちはやひめのみこと)
【意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)との御子】
(皇女)夜麻登登母母曾毘売命(やまとととびももそひめのみこと)
(皇子)日子刺肩別命 (ひこさしかたわけのみこと)
(皇子)比古伊佐勢理毘古命 (ひこいさせりびこのみこと:別名は大吉備津日子命 (おおきびつひこのみこと))
(皇女)倭飛羽矢若屋比売 (やまとととわかやひめのみこと)
【蠅伊呂杼(はえいろど:意富夜麻登玖邇阿礼比売命の妹)との御子】
(皇子)日子寤間命 (ひこさめまのみこと)
(皇子)若日子建吉備津日子命(わかたけひこのみこと)
- 皇居(宮の場所)
- 黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや:奈良県磯城郡田原本町黒田周辺)
- 崩御
- 百六歳
- 御陵
- 片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ:奈良県北葛城郡王寺町)
大吉備津日子命 (おおきびつひこのみこと)と若日子建吉備津日子命(わかたけひこのみこと)は、針間(はりま:播磨国(兵庫県南西部))の氷河之前(ひかわのさき:加古川)に清浄な壺を置いて神を祭り、
針間を起点に吉備国(岡山、広島東部)を説得し平定しました。
大吉備津日子命 (おおきびつひこのみこと)は吉備の上道臣(かみみちのおみ)の祖です。
若日子建吉備津日子命(わかたけひこのみこと)は、吉備の下道臣(しもつみちのおみ)、笠臣(かさおみ)の祖です。
日子寤間命 (ひこさめまのみこと)は、針間の牛鹿臣(うしかのおみ)の祖です。
日子刺肩別命 (ひこさしかたわけのみこと)は、高志の利波臣(となみのおみ)、五百原君(いおはらのきみ)、角鹿の海値(あまのあたい)の祖です。
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