【第八代、孝元天皇(こうげんてんのう)】
第七代、考霊天皇(こうれいてんのう)崩御後、皇子の大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)が御即位され、第八代、孝元天皇(こうげんてんのう)となられました。
- 異称
- 大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)
- 父・母
- 【父】第七代、考霊天皇(こうれいてんのう:大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと))
【母】細比売命(ほそひめのみこと:十市県主(とおちのあがたぬし)祖の大目(おおめ)の娘)
- 兄妹
- 同母兄弟はいない。異母兄妹は「第七代、考霊天皇(こうれいてんのう)」参照下さい
- 皇后(后妃)
- ・内色許売命(うつしこめのみこと:穂積巨(ほずみおみ)らの祖である内色許男命(うつしこおのみこと)の妹)
・伊賀迦色許売(いかがしこめのみこと:内色許男命の娘)
・波邇夜須毘売(はにやすひめ:河内青玉繋の娘)
- 皇子女
- ・内色許売命(うつしこめのみこと)との御子
【第一皇子】大毘古命(おおひこのみこと)
【第二皇子】少名日子建猪心命(すくなおこころのみこと)
【皇三皇子】若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおひひのみこと:後の第九代、開化天皇(かいかてんのう))
【皇女】「日本書紀」のみ倭迹迹姫命 (やまとととひめのみこと)*古事記には記載はない
・伊賀迦色許売(いかがしこめのみこと)の御子
【皇子】比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)
・波邇夜須毘売(はにやすひめ)との御子
【皇子】建波邇夜須毘古命 (たけはにやすひこのみこと)
- 皇居(宮の場所)
- 軽之堺原宮(かるのさかいはらのみや:奈良県橿原市大軽町・見瀬町周辺)
- 崩御
- 五十七歳
- 御陵
- 【古事記】では剣池の中岡上(奈良県橿原市石川町の石川池)【日本書紀】では劔池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)
大毘古命(おおひこのみこと)の子の建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)は安倍臣(あへのおみ)らの祖で、比古伊那許士別命(ひこいなこじわけのみこと)は膳臣(かしわてのおみ)の祖です。
比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)が尾張連(おわりのむらじ)らの祖である意富那毘(おおなび)の妹、葛城高千那毘売(かずらぎのたかちなびめ)を娶して生んだ子は味師内宿禰(うましうちのすくね)で、山代の内臣(うちのおみ)の祖です。
また木国造(きのくにのみやつこ)の祖である宇豆比古(うずひこ)の妹、山下影日売(やましたかげのひめ)を娶して生んだ子は建内宿禰(たけうちのすくね)です。
この建内宿禰の子は併せて九人で男七人、女二たりで以下になります。
波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)は、波多臣(はたのおみ)、林臣(はやしのおみ)、波美臣(はみのおみミ)、星川臣(ほしかわのおみ)、淡海臣(おうみのおみ)、長谷部君(はつせべのきみ)の祖です。
次に許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)は、許勢臣(こせのおみ)、雀部臣(さざきべのおみ)、軽部臣(かるべのおみ)の祖です。
次に蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)は、蘇我臣(そがのおみ)、川辺臣(かわべのおみ)、田中臣(たなかのおみ)、
高向臣(たかむくのおみ)、小治田臣(おはりだのおみ)、桜井臣(さくらいのおみ)、岸田臣(きしだのおみ)等の祖なり。
次に平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね)は、平群臣(へぐりのおみ)、佐和良臣(さわらのおみ)、馬御樴連(うまのみくいのむらじ)らの祖です。
次に木角宿禰(きのつののすくね)は、木臣(きのおみ)、都奴臣(つぬのおみ)、坂本臣(さかもとのおみ)の祖です。
次に久米能摩伊刀比売(くめのまいとひめ)、
次に怒能伊呂比売(ののいろひめ)、
次に葛城長江曽都毘古(かずらぎのながえのそつびこ)は、玉手臣(たまでのおみ)、的臣(いくわのおみ)、生江臣(いくえのおみ)、阿芸那臣(あぎなのおみ)らの祖です。
また若子宿禰(わくごのすくね)は、江野間臣(えののたからのおみ)の祖です。
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