応神天皇(おうじんてんのう)は、日向国(ひむかのくに)の諸県君(もろがたのきみ:宮崎県南部の豪族)の娘の髪長比売(かみながひめ)の容姿がとても美しいと聞き、

妻として迎えようと宮中に呼び出しました。

その時、大雀命(おおさざきみのみこと)は、その嬢子が難波津(なにわず:大阪湾)に着いたのを見て、その美しい顔立ちに感激し、建内宿禰(たけうちのすくね)大臣にこう申し告げました。

「この、日向から呼び出しになられた髪長比売(かみながひめ)は、天皇にお願いして私に譲ってもらえないだろうか」

そして、建内宿禰(たけうちのすくね)はそのように天皇へ申し上げると、天皇は髪長比売(かみながひめ)を御子に授けました。

またその御子に授けた時の状況は次のようなものでした。

天皇が、新嘗祭(にいなめさい:天皇が国家、国民の安寧と繁栄を祈りおこなう祭祀の一つ)の翌日、豊明(とよのあかり:新嘗祭の後に行う宴会)の宴会の日に、

髪長比売(かみながひめ)に大御酒の柏(カシの葉に盛った御酒)を持たせ、大雀命(おおさざきみのみこと)にその嬢子を授けたのでした。

そこで、天皇は御歌を詠みました。

「いざ子ども 野蒜(のびる)摘みに 蒜摘(ひるつ)みに わが行く道の 香ぐはし 花橘(はなたちばな)は 上枝(ほつえ)は 鳥居枯らし 

下枝(しづえ)は 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら嬢子(をとめ)を 誘(いざ)ささば 宜(よ)らしな」

訳:

「 さぁ子供たち、野蒜(のびる)を摘みに行こう 。蒜を摘みに私が行く道の、香しい花橘(はなたちばな)は、上の枝は鳥が止まって枯らし、下の枝は人が取って枯らし、

その真ん中ほどの枝は蕾(つぼみ)がある。その蕾のような紅顔(こうがん:年が若く血色のよい顔)の嬢子を誘うがよい」

また、次のお歌も読みました。

「水溜る 依網池(よさみのいけ)の 堰杙打(いぐいう)ちが 刺しける知らに 蓴繰(ぬなはく)り 延(ほ)へけく知らに 我が心しぞ いや愚(をこ)にして 今ぞ悔しき 」

訳:

「依網池(よさみのいけ)にの堰杙打ち(水量調節のための杭を打つ人)が、杭を打っているのも知らないで、

蓴菜(ぬなわ:ジュンサイ(ジュンサイ科、スイレン科の植物))採りが蓴菜に手を伸ばしているのも知らないで、私の心こそなんと愚かなことか。今になり悔しいばかりだ」

このように歌を詠み、髪長比売(かみながひめ)を大雀命(おおさざきみのみこと)に授け、

その嬢子を賜った後に大雀命は歌を詠みました。

「道の後(しり) 古波陀嬢子(こはだをとめ)は 雷の如 聞こえしかども 相枕枕(あひまくらま)く」

訳:

「遠い国の古波陀の嬢子の噂は、雷が鳴り響くように聞こえてきたけれど、今や抱き合いながら一緒に寝ている」

また、このように歌いました。

「道の後(しり) 古波陀嬢子(こはだをとめ)は 争はず 寝しくをしぞも 麗しみ思ふ 」

訳:

「遠い国の古波陀の嬢子は、拒むことなく一緒に寝てくれた。美しく思う」

また吉野の国主(くず:国栖)達は、大雀命(おおさざきみのみこと)の佩(は)いている御刀を見このように歌いました。

「誉田(ほむた)の 日の御子 大雀(おおささぎ) 大雀 佩(は)かせる大刀 本剣(もとつるぎ) 末(すえ)ふゆ 冬木(ふゆき)の すからが下樹(したき)の さやさや 」

訳:

「品陀和気命(ほむだわけのみこと:応神天皇)の日の御子、大雀、大雀が佩いている大刀は、本(根元)が剣で、末(先)が増えている。まるで冬の「すからが下樹(したき)?(木の幹の下に生える草)か」さやさやと鳴っているようだ」

七支刀を例えているのか?

また吉野の白梼上(かしのふ:奈良県、樫尾)に横臼(よこうす:横に平たい臼)を作りて、その横臼に大御酒を醸(かも:造酒のこと)し、

その大御酒を献(たてまつ)った時、口鼓(くちづつみ:口で鼓を打つような音を出すこと)を打ち演じ、このように歌いました。

「白梼の生(ふ)に 横臼(よくす)を作り 横臼に 醸(か)みし大御酒(おおみき) うまらに 聞こしもち飲(を)せ まろが父(ち)」

訳:

「樫の生えている所で、横臼を作り、その臼で造った大御酒。おいしく飲んでください、我が父上」

この歌は、吉野の国主たちが大贄(おおにえ:朝廷に献上するその地の産物)を献上する時に詠む歌で、今でも恒に詠む歌です。

 

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