景行天皇(けいこうてんのう)は、三野国造(みののくにみやつこ)の祖である大根王(おおねこのみこ)の娘、兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)と言う、とても美しい二人の嬢子(じょうし)がいるとお聞きになり、
御子の大碓命(おおうすのみこと)を、その嬢子のいる三野国(美濃国(岐阜県))に遣わせて、二人を連れて来るよう命ぜられました。
ところが、遣わされた大碓命(おおうすのみこと)は、その二人の嬢子を天皇の元へと連れて帰らず、自分がその二人と結婚をしてしまいました。
さらには、そのことを天皇には黙ったままにし、他の女性を二人探し連れて帰り、その女性達を兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)と偽り天皇に差し出しました。
しかし天皇はその二人が、兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)ではなく、全く別の女性であることを知るや、物思いにふけ、その女性たちを妻にすることも、また共に寝ることもなく悩んでいました。
また、その大碓命(おおうすのみこと)が兄比売(えひめ)を娶って生んだ子は押黒之兄日子王(おしくろのえひこのみこ)と言い、三野の宇泥須和気(うねすわけ)の祖です。
また、弟比売(おとひめ)を娶って生んだ子は押黒弟日子王(おしくろのおとひこのみこ)と言い、牟宜都君(むげつのきみ)らの祖です。
この景行天皇(けいこうてんのう)の御世に田部(たべ:朝廷の屯家(みやけ:朝廷が直接支配した土地、倉庫)を耕作する部民)を定め、
また、東国(あずまくに)の淡水門(あわのみなと:浦賀水道)を開き、
また、膳の大伴部(かしわでのおおともべ:朝廷専属の料理人)を定め、
また、倭の屯家(やまとのみやけ:朝廷の御料地)を定め、
また、手池(さかてのいけ:奈良県磯城郡田原本町阪手にある池)を作り、竹を堤防にし植えました。
さて、その大碓命(おおうすのみこと)は、宮中での朝夕の食事に一緒に参加していませんでした。
そこで、景行天皇(けいこうてんのう)は、弟の小碓命(おうすのみこと)に次にように言いました。
「どうして、お前の兄は朝夕の大御食(おおみけ)に出席しないのか。お前が兄を教え覚す(さとす:諭す:言い聞かせる)すのだ」
しかし、そえから五日経っても兄の大碓命(おおうすのみこと)は、食事に参加してきません。
そこで、また、天皇は小碓命(おうすのみこと)に問いました。
「どうして、お前の兄はまだ来ないのだ。おまえはまだ兄を教え覚してないのか?」
すると、小碓命(おうすのみこと)は、
「すでに、覚しました」
と申し上げたので、天皇は続けて、
「どのように覚したのだ?」
とお尋ねになると、小碓命(おうすのみこと)は、
「明け方、兄が厠(かわや:便所)に入った時、待ち構え搤(つか)み叩きつけ、手足を引き裂いて、薦(こも:袋)に包んで、投げ捨てました」
天皇はそれを聞き、小碓命(おうすのみこと)の猛々しく荒い性格を恐れ、そばに置いておくのは危険だと思い、
「西の方に熊曾建(くまそたける)が二人いる。これらはまつろわぬ(従わぬ)者どもである。お前がその者どもを討ち取れ」
と御自身から小碓命を遠ざけるため、そのように命じ遣わせました。
*熊曾建(くまそたける):熊曾は西の地を意味し、建は勇猛な者などの意味。
この時の小碓命(おうすのみこと)はまだ、その髪を額あたりで結ぶ十五・六の少年で、また少女と見間違うような顔立ちでした。
小碓命(おうすのみこと)は、叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から御衣と御裳を借り、剣を懐に入れて出発しました。