葦原中国(あしはらのなかつくに)が平定していくのを高天原の神々も眺めておりました。
そんな中、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほ)は、我が子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと:天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が知らす(治める)べき国である」
*豊葦原之千秋長五百秋之水穂:豊かで、千年も長きに渡る、水穂の葦原(日本)
と仰せになり、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を天降り(あまくだり:天から降ろす)なされました。
*「天降り」は神が天から下界へ行くことを意味します。現在の「天下り」の語源になります。
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は、天の浮橋(うきはし:天地の境にある橋)にお立ちになり見下ろすと、
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほ)の国は、ひどく騒がしい」
と仰せになり、引き返してそのことを天照大御神(あまてらすおおみかみ)にお伝えになりました。
そこで、高御産巣日神(たかむすひのかみ)と天照大御神は、天の安の河の河原に、八百万(やおよろず)の神々を集めさせ、思金神(おもいかねのかみ)に、
「この葦原中国は、我が子に治める国とし委任した国です。しかし、この国には荒ぶる国つ神がどうも大勢いると思われる。そこで、どの神を遣わせて荒ぶる神達を説得させ治めれば良いだろうか?」
と対策を思案させました。
思金神(おもいかねのかみ)をはじめとし、八百万(やおよろず)の神々が相談し、次のように提案されました。
「天菩比神(あめのほひのかみ)を遣わすのが良いでしょう」
そう申し上げると、さっそく天菩比神(あめのほひのかみ)を遣わせました。
しかし、この天菩比神(あめのほひのかみ)は、大国主神に媚びへつらうばかりで、三年が経っても何一つ報告もなく戻ってくる事はありませんでした。
高御産巣日神(たかむすひのかみ)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)はお困りになり、改めて八百万の神々を集め、
「葦原中国に天菩比神を遣わせたが、何一つ報告も無い。なので今度はどの神を遣わすのが良いだろうか?」
と再び尋ねると、思金神(おもいかねのかみ)が、
「天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子の、天若日子(あめのわかひこ)を遣わすのが良いでしょう」
と提案されました。
そこで、天若日子(あめのわかひこ)に天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ:光り輝く立派な弓)と天之波波矢(あめのははや:羽の付いた矢)を賜(たま)い、葦原中国に遣わせました。
しかし、今度は、天若日子(あめのわかひこ)は大国主神の娘の下照比売(したでるひめ)と結婚し、さらにはこの国を自分のものにしようと企むようになりました。
そして、八年の歳月が流れ一向に報告もしてきません。
いよいよお困りになった高御産巣日神(たかむすひのかみ)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、再び八百万の神々を集め、
「葦原中国に天若日子を遣わせたが、連絡も帰ってくることも無い。天若日子が国に留まっている理由を問いただしたいのだが、どの神を遣わせたら良いだろうか?」
すると、思金神(おもいかねのかみ)が、
「鳴女(なきめ:雉(きじ))を遣わせるのが良いでしょう」
と提案されたので、高御産巣日神(たかむすひのかみ)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、鳴女に、
「【汝(なんじ)を葦原中国に遣わせたのは、荒ぶる神達を鎮め従わせるためである。なのになぜ八年も戻りもぜす報告もしないのだ】と問うのだ」
と内容を告げ、向かわせました。
鳴女はさっそく葦原中国に降り立ち、天若日子(あめのわかひこ)の家の門の湯津楓(ゆつかつら)の木に止まり、天つ神からの詔(みことのり:天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書。御言宣、大御言の意味)をそのままに伝えました。
すると、鳴女の伝令を聞いた天佐具売(あめのさぐめ:隠密なものを探る巫女、密偵)は、この事を凶なもの判断し、
「この鳥の鳴き声は良いものではないので、矢で射殺(いころ)すべきです」
と天若日子(あめのわかひこ)を扇動(せんどう)し、天つ神より賜った天之波士弓(あめのはじゆみ:ハゼの木でできた神聖な弓)と天之加久矢(あめのかぐや:光り輝く神聖な矢)で、雉を射殺してしまったのです。
その矢は雉の胸を貫き、天高く上がり天の安の河の河原におられた天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎのかみ:高御産巣日神(たかむすひのかみ)の別名)の所にまで飛んでいきました。
高御産巣日神(たかむすひのかみ)はその矢を御手にとり御覧になると、そこには血が着いていました。
「この矢は、天若日子(あめのわかひこ)に与えた矢ではないか!」
と驚愕なさり、再び八百万の神々を集め、その矢を見せながら、
「もし、天若日子が命令に背かず、荒ぶる神達に射た矢がここまで届いたのなら天若日子には当たるな。しかし、もし邪心があり放った矢であるならば、天若日子はこの矢に当たり死んでしまえ」
と仰せになり、その矢を取り、飛んできた矢で出来た穴から衝(つ)き返しました。
すると、その矢は葦原中国に飛んでいき、朝まだ床で寝ていた天若日子の胸に突き刺さり、死んでしまいました。
*結局、鳴女は帰って来ませんでした。この事から「雉(きじ)の頓使(ひたつかい)(行ったきり帰ってこない使者)」という諺(ことわざ)となっています。