【古事記】中つ巻 【古事記】欠史八代「第六代、考安天皇(こうあんてんのう)」 【第六代、考安天皇(こうあんてんのう)】第五代、考昭天皇(こうしょうてんのう)崩御後、第二皇子である大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)が御即位され、考安天皇(こうあんてんのう)となりました。異称大倭日子鉏友命(おおや... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】欠史八代「第五代、考昭天皇(こうしょうてんのう)」 【第五代、考昭天皇(こうしょうてんのう)】第四代、懿徳天王(いとくてんのう)崩御後、第一皇子である御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)御即位され、考昭天皇(こうしょうてんのう)となられました。異称御真津日子訶恵志泥命(みまつひ... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】欠史八代「第四代、懿徳天王(いとくてんのう)」 【第四代、懿徳天王(いとくてんのう)】第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)崩御後、第二皇子である大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)が御即位され、懿徳天王(いとくてんのう)となられました。異称大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきと... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】欠史八代「第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)」 【第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)】綏靖天皇(すいぜいてんのう)崩御後、第一皇子である師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)が御即位され、安寧天皇(あんねいてんのう)となりました。異称師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみ... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】欠史八代「第二代、綏靖天皇(すいぜいてんのう)」 【第二代、綏靖天皇(すいぜいてんのう)】神武天皇と須気余理比売(いすけよりひめ)の間に生まれた三人の御子の末っ子で、多神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)という名でした。異母兄弟の長男である多芸志美美命(たぎしみみのみこと)の陰謀を知り、... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】多芸志美美命(たぎしみみのみこと)の陰謀 時が過ぎ、神武天皇が崩御(ほうぎょ:天皇がなくなることで崩(かむあが)りとも言う)されたました。すると、須気余理比売(いすけよりひめ)との三人の御子とは異母兄弟の長男である多芸志美美命(たぎしみみのみこと:阿比良比売(あひらひめ)との間の子... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】神武天皇の皇后選定 天つ神御子、神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと:神武天皇)は、御即位前に、九州の日向(ひむか:九州南部)の地にいらした時に、阿多(あた:鹿児島県南さつま市)の小椅君(おばしのきみ:阿多隼人の一族)の妹の阿比良比売(あひらひめ)を... 【古事記】中つ巻
【古事記】中つ巻 【古事記】久米歌 戦いに勝った神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)の一行は、その地よりさらに進んで、忍坂(おしさか:奈良県桜井市)に着きました。そこには、岩をくり抜いて作った大きな室があり、尾の生えた土雲(つちぐも:朝廷に従わなかった土着民を蔑(... 【古事記】中つ巻