【古事記】下つ巻 【古事記】阿岐豆野(あきずの)「童女の舞」 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が吉野宮(よしのみや:奈良県吉野町にあったとされる宮)におやってきた時、吉野川の岸辺に童女(おとめ)がいました。その容姿がとても美しかったので、天皇はこの童女と結婚し宮に帰りました。その後再び吉野にやってきた時... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】引田部の赤猪子の長い年月 またある時、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が遊びに出掛け、美和河(みわがわ:三輪山の初瀬川下流付近)に着いた時、川辺で衣を洗う童女(おとめ)がいました。その容姿がとても美しかったので、天皇は童女に、「お前は誰の子だ?」と尋ねると、その童女は... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】若日下部王(わかくさかべのみこ)と結婚 初め、大后の若日下部王(わかくさかべのみこ)が日下(くさか:大阪府日下町辺り)に住んでいた頃、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、大和から日下の直越の道(ただごえのみち)を通って河内にやってきました。*若日下部王の所へ行くため、近道をしていっ... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】第二十一代 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)「后妃と御子」 大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと:大長谷王(おおはつせのみこ))は、長谷(はつせ)の朝倉宮(あさくらのみや:奈良県桜井市脇本か)で天下を治め、第二十一代 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)となりました。天皇は、大日下王(おおくさかの... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)の隠れ身 大長谷王(おおはつせのみこ)は、次々と兄弟たちを殺していきました。そこで、殺された市辺之忍歯王(いちのべのおしはのみこ)の王子の、意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)の二柱は、この乱(事変)を聞いて共に逃げ去りました。こうして、山代の... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】市辺之忍歯王(いちのべのおしはのみこ)の殺害 その後、淡海(おうみ)の佐佐紀山君(ささきのやまのきみ)の祖の韓袋(からぶくろ)が大長谷王(おおはつせのみこ)に、このように申し上げました。「淡海の久多綿の蚊屋野(くたわたのかやの:所在未詳)には、多くの鹿がおります。その立つ足は荻原(すす... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】大長谷王(おおはつせのみこ)の怒りと目弱王の殺害 安康天皇(こうあんてんのう)が后の長田大郎女(ながたのおおいらつめ)の連れ子の目弱王(まよわのみこ)に殺されると、天皇の弟で当時まだ少年だった大長谷王(おおはつせのみこ)は、そのことを聞き、怒り、憤慨し、兄の黒日子王(くろひこのみこ)の処へ... 【古事記】下つ巻
【古事記】下つ巻 【古事記】目弱王(まよわのみこ)「安康天皇(あんこうてんのう)の殺害」 それから後に、天皇は神牀(かむとこ:天皇が寝る床間、寝室)で昼寝をしていました。その時天皇は后の長田大郎女(ながたのおおいらつめ:大日下王(おおくさかのみこ)を殺して娶し取った后)に言いました。「お前は、心配に思うことがあるか?」后は答えて... 【古事記】下つ巻