【古事記】下つ巻

【古事記】下つ巻

【古事記】意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)の隠れ身

大長谷王(おおはつせのみこ)は、次々と兄弟たちを殺していきました。そこで、殺された市辺之忍歯王(いちのべのおしはのみこ)の王子の、意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)の二柱は、この乱(事変)を聞いて共に逃げ去りました。こうして、山代の...
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【古事記】市辺之忍歯王(いちのべのおしはのみこ)の殺害

その後、淡海(おうみ)の佐佐紀山君(ささきのやまのきみ)の祖の韓袋(からぶくろ)が大長谷王(おおはつせのみこ)に、このように申し上げました。「淡海の久多綿の蚊屋野(くたわたのかやの:所在未詳)には、多くの鹿がおります。その立つ足は荻原(すす...
【古事記】下つ巻

【古事記】大長谷王(おおはつせのみこ)の怒りと目弱王の殺害

安康天皇(こうあんてんのう)が后の長田大郎女(ながたのおおいらつめ)の連れ子の目弱王(まよわのみこ)に殺されると、天皇の弟で当時まだ少年だった大長谷王(おおはつせのみこ)は、そのことを聞き、怒り、憤慨し、兄の黒日子王(くろひこのみこ)の処へ...
【古事記】下つ巻

【古事記】目弱王(まよわのみこ)「安康天皇(あんこうてんのう)の殺害」

それから後に、天皇は神牀(かむとこ:天皇が寝る床間、寝室)で昼寝をしていました。その時天皇は后の長田大郎女(ながたのおおいらつめ:大日下王(おおくさかのみこ)を殺して娶し取った后)に言いました。「お前は、心配に思うことがあるか?」后は答えて...
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【古事記】第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)「大日下王を誤殺」

軽太子(かるのひつぎのみこ)が自害し後、弟の穴穂御子(あなほこのみこ)が石上の穴穂の宮(奈良県天理市田町)にて天下を治め、第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)となりました。天皇は、同母の弟大長谷王(おおはつせのみこ)のために、坂本臣(さか...
【古事記】下つ巻

【古事記】伊余の湯へ島流し、そして心中

その後、軽太子(かるのひつぎのみこ)は伊予湯(いよのゆ:愛媛県松山市)に島流しにされました。また、島に流されようとした時、歌を詠みました。「天飛(あまと)ぶ 鳥も使ひそ 鶴(たづ)が音の 聞こえむ時は わが名問(なと)はさね」訳:「空を飛ぶ...
【古事記】下つ巻

【古事記】軽太子(かるのひつぎのみこ)と軽大郎女(かるのおおいらつめ)「禁愛」

允恭天皇(いんぎょうてんのう)が崩御された後には、木梨之軽太子(きなしのかるのひつぎのみこ)が皇位を受け継ぐことになっていましたが、即位する前に同母の妹(実妹:じつまい)の軽大郎女(かるのおほいらつめ)と戯(たは:男女の交わり)れ愛し合って...
【古事記】下つ巻

【古事記】氏姓(うじかばね)の制定

允恭天皇(いんぎょうてんのう)は、初め皇位(皇帝や天皇の位)に即位される時、そのことを辞退し、「私には、一つの長い病があるので、皇位を継ぐことは出来ない」と仰せになり断っていました。しかし、大后をはじめ臣下たちも強く願い申したため、天下をお...