古事記

【古事記】下つ巻

【古事記】枯野(からの)という船

また、仁徳天皇(にんとくてんのう)の御世(時代)に、免寸河(とのきがわ:所在未詳)の西に、一本の高い樹がありました。その樹の影は、朝日に当たれば淡道島(あわじしま:淡路島)にまで届き(伸び)、夕日が当たれば高安山(たかやすやま:大阪、奈良の...
【古事記】下つ巻

【古事記】第十七代、履中天皇(りちゅうてんおう)「墨江中王の反逆」

仁徳天皇の御子の伊耶本若気王(いざほわけのみこ)は、伊波礼(いわれ)の若桜の宮(奈良県桜井市池之内)で天下を治め、第十七代、履中天皇(りちゅうてんおう)となりました。この天皇が、葛城の曾都毘古(そつびこ)の子の葦田宿禰(あしたのすくね)の娘...
【古事記】下つ巻

【古事記】水歯別命(みづはわけのきみ)と曾婆訶理(そばかり)

そして、履中天皇(りちゅうてんおう)は、大阪の山の麓(ふもと)までやってきた時、一人の女に出会いました。すると、その女は、「武器を持った大勢の人達がこの山を塞いでおります。当岐麻道(たぎまじ)から迂回して進んで行った方が良いでしょう」と申し...
【古事記】下つ巻

【古事記】曾婆訶理(そばかり)の死と兄弟の語り合い

墨江中王(すみのえのなかつみこ)を殺させた後、水歯別命(みづはわけのきみ)は曾婆訶理(そばかり)を率いて大和の方へ上り進みました。大阪の山の麓(ふもと)に着いた時、水歯別命(みづはわけのきみ)はこのように考えていました。「曾婆訶理(そばかり...
【古事記】下つ巻

【古事記】第十八代、反正天皇(はんぜいてんのう)

履中天皇(りちゅうてんのう)の弟の水歯別命(みづはわけのきみ)は、多治比(たじひ)の柴垣宮で天下を治め、第十八代、反正天皇(はんぜいてんのう)となりました。この天皇の御身(身長)の丈は、九尺二寸半(約1.8m)で、御歯の長さは一寸(約1.9...
【古事記】下つ巻

【古事記】第十九代、允恭天皇(いんぎょうてんのう)「后妃と御子」

水歯別命(みづはわけのきみ:反正天皇(はんぜいてんのう))の弟の男浅津間若子宿禰命(おあさつまわくごのぬくねのみこと)は、遠飛鳥宮(つうつあすかのみや:奈良県明日香村飛鳥)で天下を治め、第十九代、允恭天皇(いんぎょうてんのう)となりました。...
【古事記】下つ巻

【古事記】氏姓(うじかばね)の制定

允恭天皇(いんぎょうてんのう)は、初め皇位(皇帝や天皇の位)に即位される時、そのことを辞退し、「私には、一つの長い病があるので、皇位を継ぐことは出来ない」と仰せになり断っていました。しかし、大后をはじめ臣下たちも強く願い申したため、天下をお...
【古事記】下つ巻

【古事記】軽太子(かるのひつぎのみこ)と軽大郎女(かるのおおいらつめ)「禁愛」

允恭天皇(いんぎょうてんのう)が崩御された後には、木梨之軽太子(きなしのかるのひつぎのみこ)が皇位を受け継ぐことになっていましたが、即位する前に同母の妹(実妹:じつまい)の軽大郎女(かるのおほいらつめ)と戯(たは:男女の交わり)れ愛し合って...
【古事記】下つ巻

【古事記】伊余の湯へ島流し、そして心中

その後、軽太子(かるのひつぎのみこ)は伊予湯(いよのゆ:愛媛県松山市)に島流しにされました。また、島に流されようとした時、歌を詠みました。「天飛(あまと)ぶ 鳥も使ひそ 鶴(たづ)が音の 聞こえむ時は わが名問(なと)はさね」訳:「空を飛ぶ...
【古事記】下つ巻

【古事記】第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)「大日下王を誤殺」

軽太子(かるのひつぎのみこ)が自害し後、弟の穴穂御子(あなほこのみこ)が石上の穴穂の宮(奈良県天理市田町)にて天下を治め、第二十代、安康天皇(あんこうてんのう)となりました。天皇は、同母の弟大長谷王(おおはつせのみこ)のために、坂本臣(さか...
【古事記】下つ巻

【古事記】目弱王(まよわのみこ)「安康天皇(あんこうてんのう)の殺害」

それから後に、天皇は神牀(かむとこ:天皇が寝る床間、寝室)で昼寝をしていました。その時天皇は后の長田大郎女(ながたのおおいらつめ:大日下王(おおくさかのみこ)を殺して娶し取った后)に言いました。「お前は、心配に思うことがあるか?」后は答えて...
【古事記】下つ巻

【古事記】大長谷王(おおはつせのみこ)の怒りと目弱王の殺害

安康天皇(こうあんてんのう)が后の長田大郎女(ながたのおおいらつめ)の連れ子の目弱王(まよわのみこ)に殺されると、天皇の弟で当時まだ少年だった大長谷王(おおはつせのみこ)は、そのことを聞き、怒り、憤慨し、兄の黒日子王(くろひこのみこ)の処へ...